週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

想ったこと

人は、果てしない宇宙のときを経て、果てしない宇宙のときを経たからこその存在として、奇跡的な確率で、今、この時代(とき)に、人として生まれた。宇宙はひたすらに衷心を中心とした大きく緩やかなゆらぎをもって安定的にときを経ている。これからも同じようにひたすらにときを経る。過ぎたるは揺れ戻す。それが根本的な流れ。自然の摂理。
私が生きる今このときは、その根本的な流れに身を置くわずかな瞬間。その瞬間には美しい自然があり、清々しい香りがある。愛する家族に出会え、喜びを噛み締めることのできる健康がある。これを噛み締めずして、これに感謝せずして、そして更なる感動への期待にワクワクせずしてどうするや。
般若心経。
それでも、私は目の前の不安や欲に動揺する。そんなとき、果てしなく大きく果てしない時間、果てしないゆらぎを想うて、自分が抱く不安や欲は、近視眼的であり、宇宙の摂理から外れた考えであることを想い、自分を落ち着かせる。
それでも心のゆとり、愛する家族、裕福な暮らしを私は志向する。そのためにどうするか。その過程を楽しむ。
そして、私は感動を分かつ。感動の機会を皆に。それは気づきを与えること。富も経験も在るところから無いところへ。皆が世のため人のためになる。価値観が一つに偏るから、格差となる。本来格差は存在しない。
いまできることは一隅を照らすこと。