週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

孤独感の解消方法

そもそもなぜ孤独を感じるのか。

人は千差万別、育ってきた環境、経験したことが皆異なるため、それらを肥やしに育まれる(はぐぐまれる)価値観も当然に異なってくる。つまり他人は他人、異なる存在なのだ。それが他人とつるんでいても、どこかで「孤独感」を感じる原因ではなかろうか。そもそも人は「孤独」なのだ。

その前提に立っていない中で、突然にそれに気づいてしまう、言語化できていなくとも感覚的に感じ取る時が来てしまう、すると心の準備ができていないため、「孤独」が何か恐ろしいものに思われ、やるせない気持ちになるのだろう。

しかし、そもそも人は「孤独」なのだ。国語辞典で「孤独」をひくと「心の通い合う相手がいなくてひとりぼっち」なこととある。「心の通い合う相手」なんていますか? 部分的に通い合うことはあるだろう、でも存在がまるっと、いつなんどきでも心が通い合う相手なんてまずいないと想う。

子どもの頃に「孤独」を感じることはあまりなかった。それはまだ生きた年月が少ないため、価値観が育まれていなかったためだと思われる。つまり自分も他人も自我が無い同士なので、「一緒に居る」「同じことをする」で十分に「孤独ではない状況」を確保できたのだ。

しかし大人になると違う。より個が個になっていく。他人とはより異なりが大きくなる。そう「孤独」になっていくのだ。

解消のヒントとして以下を考えたことがある。心の通い合う「部分」を増やすということだ。心から好きなこと、例えば趣味などの共通項をもって人と接するというもの。少なくとも趣味が同じ、もっと言えばその趣味への感じ方が同じであれば「孤独感」を解消する一助になるかもしれないと。

だが、すぐにこの選択肢は小生から消えた。理由は二つ。一つは確たるものではないということ。つまり表面的な「趣味」は同じでも、その感じ方までがいつも、もっと言えばいつまでも同じということは稀であるということ。下手をしたら、孤独を感じないように無意識に相手の気持ちと自分は同じだと思い込ませるようなことをしかねない。二つ目は、そもそも小生は「孤独」でいいと想っていること。えっ、ここまできてそれを言う!?という感じもしなくもないが、そうなのだ。毎日仕事が忙しい今だからこそそう思うだけなのかもしれないが、プライベートでまで他人と接したいとはあまり思わない。

それでも「孤独」が「寂しさ」に近い感情で襲ってくることがある。

他人と絡まず、でもこの「寂しさ」に似た「孤独感」を解消する方法は無いものかと想っていたら、ふと気づきがあった。

それはNHKの「ドキュメント72時間」を観ていたときである。特集だったので、過去放送分10話を一気に観ることができたのだが、それを観ていて想ったことが、「人って表面だけでは分からないけど、みんな色んな人生を歩んでいて、いろんなことを想っているんだなぁ」ということと「みんなそれぞれだなぁ(=孤独だなぁ)」ということ。この「皆違う=孤独」という「共通点≒共感」を想ったときに、妙に孤独感(≒寂しさ)が解消される気分になった。

この視聴のあとに散歩に出かけたのだが、通りすがりに見る中年以降のお年頃の皆様をお見かけするにつけ「きっと自分と同じように孤独を感じることがあるんだろうなぁ」と想えて、それが自分の孤独感を和らげた。

「孤独(他人は自分と違う)」ということの「共感(皆同じことを感じている。つまり孤独を感じるのは自分だけではない)」ということの気づき、これが孤独感を解消のヒントかなと想った。

ただし、これは「他人もきっと潜在的にでも孤独を感じている」という小生の思い込みが支える解消法なので、「いいえ、私は全く本音で孤独を感じていません」と中年以降の方に面を向かって言われたら、成り立たなくなってしまうものではある(笑)。