週刊「想うのよ」

想うことを綴ります

踊らされるのではなく、踊ろう!

世の中、みんな分かったようなことばかり言う。よくそんなこと知ってるねという知識人には驚きはしても、それだけでは尊敬には値しない。それがどうした、なのだ。

それらが自分にとって好きか否かだ。世のため人のため、もっといえば隣人のためになっているなら、小生にとって意味のある有難いものだが、それ以外は「それがどうした」なのだ。

それでも小生含め多くの人は、その道のプロとされる人だったり、身近なところでは上司だったりの言葉だと、なんとなくその言葉に縛られる。結局その代替となる確信やら経験やら実感を持ち合わせていないからだ。

題目に「踊らされるのではなく、踊ろう」としたのは、そうであるなら、そうした言葉に出くわした際、少なくとも自分はこう想うというのを持つ、反応することで、踊らされるのではなく、踊るという主体的なものにしようと想ったからだ。

ただ「踊る」ためにはひとつハードルを超えないといけない。踊るためのステージを、他に依存している場合(サラリーマンでいえば会社に依存している)、ステージを提供する側の意向を汲まざるを得ないような気持ちになる。その意向を打ち返すだけの自己が確立されていないのだ。

それでも「踊らされない」ためにも、少なくとも無意識に受け入れる、縛られることがないようにしたい。

そうふと想った秋のはじまりを感じる朝に、、、